Rolls-Royce Motor Cars Limitedのプレスリリース

2026年10月30日(金) グッドウッド、ウエスト・サセックス
• ロールス・ロイス、1906年の40/50 H.P.(シルバー・ゴースト)誕生から120周年
• ヘンリー・ロイスのエンジニアリングとクロード・ジョンソンの先見性が築いた、シルバー・ゴーストの比類なき評価
• 数々の技術的偉業を礎に、世代を超えてその名にふさわしい評価を保ち続けてきた「世界最高の自動車」の称号
• 1911年のロンドン-エディンバラ・トライアルで速度と燃費の両記録を達成した40/50 H.P. シャシー1701を、現在グッドウッドのホーム・オブ・ロールス・ロイスで展示中
「シルバー・ゴーストは、ロールス・ロイスの歴史において特別な存在です。その技術的偉業は、洗練性、信頼性、そして卓越性における評価を確立し、それは今日の基準に照らしても並外れたものでした。同様に特筆すべきは、シルバー・ゴーストを体験した人々に与えた感動、そしてそれによってロールス・ロイスに対する期待を形作ったことです。120年を経た今なお、その期待はロールス・ロイスが目指す基準を定め続けています」
アンドリュー・ボールロールス・ロイス・モーター・カーズ コーポレート・リレーションズ&ヘリテイジ部門責任者
ロールス・ロイス・モーター・カーズは、40/50 H.P.の誕生から120周年を迎えます。後に「シルバー・ゴースト(Silver Ghost)」として知られるようになったこのモデルは、卓越したエンジニアリング、洗練性、そして信頼性におけるロールス・ロイスの評価を確立しました。耐久試験や国際競技における功績は、数多く記録されています。一方で、このモデルを所有した人々や実際に接した人々の証言は、別の側面を伝えています。当時の評論家から称賛され、オーナーからの信頼も獲得し、今なおその歴史の一部をなす個々の逸話を通じて記憶されるモーターカーとしての姿です。こうした二つの側面が、シルバー・ゴーストがなぜロールス・ロイスそのものと深く結びついた存在となったのかを物語っています。
伝説の誕生
40/50 H.P.は、1906年11月にロンドンのオリンピア・モーターショーで初披露され、当時としては最も先進的なモーターカーのひとつでした。その滑らかに作動する6気筒エンジンと高い信頼性は、モータリング黎明期における機械的な制約を克服しようとするヘンリー・ロイスの揺るぎない決意を反映したものでした。彼の徹底したこだわりは、機械部品から洗練性、ハンドリングにいたるまで、モーターカーのあらゆる側面に及んでいました。

ロールス・ロイス初代コマーシャル・マネージング・ディレクターであり、「CJ」の名で広く知られたクロード・ジョンソンは、こうした特長を公の場で示すことの重要性を認識していました。彼はそれぞれのモーターカーに特徴的な名称を付けました。そのなかでも最も有名なのが、「シルバー・ゴースト」と名付けたシャシー60551です。シルバーのボディカラーと銀メッキ仕上げの装備を備えたこの一台は大きな評判を呼び、やがて他のオーナーたちも自身の40/50 H.P.を「シルバー・ゴースト」と呼ぶようになりました。そして時を経て、この名称は同型のロールス・ロイスすべてを指す呼称となりました。
CJの指揮のもと、シルバー・ゴーストは数々の過酷な試験や競技に挑みました。スコティッシュ・リライアビリティ・トライアルや名高いロンドン・エディンバラ・ランをはじめ、スペイン・グランプリやオーストリアン・アルパイン・トライアルでの勝利に至るまで、これらの功績はシルバー・ゴーストの卓越したエンジニアリングを力強く証明するものでした。
最も有名な車両のひとつは、現在グッドウッドのホーム・オブ・ロールス・ロイスに展示されています。CJが「ザ・スラガード(The Sluggard)」と名付けたシャシー1701は、ギアボックスを意図的にトップギアに固定した状態で、1911年のロンドン-エディンバラ・トライアルを完遂し、ナピアがそれまで達成していた燃費性能と速度の記録を上回る成績を収めました。さらに同年、ロールス・ロイスとして初めて時速100マイル(約161km/h)を超える速度を記録しました。

モータリングがまだ比較的新しい楽しみであった時代において、こうした公の場での信頼性の実証は、モーターカーへの大きな投資を行うお客様の間で、ロールス・ロイスへの信頼を確立する一助となりました。
シルバー・ゴーストを知る人々の声
当時の報道からは、シルバー・ゴーストがいかに高く評価されていたかがうかがえます。『ダンディー・クロニクル』紙はロールス・ロイスを「他に類を見ない設計の水準」と評し、『カントリー・ライフ』誌は「自動車が備えるべきすべての資質の真髄」と称えました。
オーナーたちからも、同様に強い反響が寄せられました。フランスの道路で3万マイル(約4万8,000km)をエンジントラブルなく走行したお客様は、『パンチ』誌に転載された記録のなかで次のように述べています。「かつてのロールス・ロイスの製造拠点であったダービー(Derby)に賞賛の言葉を送るのは、ニューカッスルに石炭を送るようなものでしょう。しかし、この車に対する私の高い評価を記録として残しておきたいのです」
別のオーナーであるW.H.ジョンソンは、その賞賛の思いをさらに率直な言葉で表現しています。『フィナンシャル・ニュース』紙の取材に対し、彼は次のように語りました。「今や完璧な自動車が存在することを、私は知っています」
シルバー・ゴーストは、実業界、政界、文化界の幅広い人々を魅了し、オーナーに迎えました。その中には、航空界の先駆者でありヨットマンでもあったトミー・ソップウィズ、ミシン王として知られたシンガー家の27人の子どもの一人であるパリス・シンガー、金融家のアルフレッド・ド・ロスチャイルド男爵、名高い造船会社ハーランド・アンド・ウルフの会長を務めたピリー卿、作曲家のヒューバート・パリー卿、ウィンストン・チャーチル卿、そしてアメリカの飛行家兼映画プロデューサーであるハワード・ヒューズらが名を連ねています。
ロールス・ロイスは、王室からも厚い信頼を獲得しました。1911年、インド政府は、ジョージ5世国王とメアリー王妃のインド訪問に伴う祝賀行事で使用するため、ランドーレット仕様のシルバー・ゴースト8台を発注しました。ロールス・ロイスはこの行事のために運転手も手配しており、それは国家的に極めて重要な行事において、ブランドに寄せられた非常に高い信頼を物語っています。
報道機関からの高い評価とオーナーたちの証言は、シルバー・ゴーストを「世界最高の自動車」としての評価を確立する一助となりました。この表現は、当初モンタギュー・オブ・ボーリュー卿と結び付けられ、やがてロールス・ロイスそのものの代名詞となりました。


より深い、個人的な結びつき
公の場での数々の功績にとどまらず、シルバー・ゴーストはオーナーたちの人生の一部となりました。彼らの体験は、その魅力をより身近な視点から伝えています。
その一人が、著名なオペラ歌手のデイム・ネリー・メルバでした。彼女は1911年製のシルバー・ゴースト、シャシー1500を、ロンドンのリッツ・ホテルで受け取り、その後、英国、フランス、オーストラリアでこのモーターカーを使用しました。その快適性と高い信頼性は、各地を旅する彼女にとって、特に適したものでした。
オーストラリアでは、チャールズ・H・アンガスが自身のシルバー・ゴーストに「ザ・ドリーマー(The Dreamer)」という愛称を付けました。これは、夫人が乗車中によく眠りについていたことに由来します。この愛称は、シルバー・ゴーストが名声を得た、なめらかな乗り心地と快適性への個人的な賛辞でもありました。
シルバー・ゴーストは、ロールス・ロイスを象徴するもうひとつの不朽のシンボルの誕生にも関わっています。モンタギュー・オブ・ボーリュー卿のシルバー・ゴーストは、「スピリット・オブ・エクスタシー」を初めて装着したモーターカーでした。このマスコットは彫刻家チャールズ・サイクスによって制作され、1911年にロールス・ロイスの公式マスコットとして導入されました。
受け継がれる名声
シルバー・ゴーストの価値は、生産終了後も長く認められ続けました。
第3代モンタギュー・オブ・ボーリュー卿は、『エドワーディアン・ロールス・ロイス(The Edwardian Rolls-Royce)』(Fasal & Goodman、1994年)の中で、シルバー・ゴーストが同時代の他のモーターカーと一線を画した理由について言及しています。彼は「過度に先進的に見せることなく、高度な技術を備えていた」と評するとともに、多彩なコーチワークの選択肢が用意されていたことにも触れています。また、「軽やかな外観でありながら華奢ではなく、流行を取り入れながらも行き過ぎることはなかった」と表現し、次のように結んでいます。「シルバー・ゴーストの時代はすでに過ぎ去った。しかし、それは今日に至るまで受け継がれる品質とラグジュアリーの基準を打ち立てた時代でした」
多くのお客様にとって、シルバー・ゴーストは今なお実際に運転して楽しむモーターカーであり続けています。2013年には、47台のシルバー・ゴーストが1913年のアルパイン・トライアルで走破した1,800マイルのルートをたどりました。この中には、シャシー1701と当時のチームの車両1台も含まれていました。さらに2021年には、シャシー1701が再びロンドン-エディンバラ・ランを完遂しました。ギアボックスをトップギアに固定したまま走行するという、110年前と同じ条件での挑戦でした。
これらの旅路は、ヘンリー・ロイスのエンジニアリングが備える高い耐久性と、100年以上前に製造されたモーターカーが今なお人々を魅了し続けていることを示しています。
シルバー・ゴーストが築いた基準
シルバー・ゴーストは、「世界最高の自動車」という評価を獲得しただけではありません。洗練性、信頼性、そして卓越性に対する期待を確立し、それらはロールス・ロイスという名と切り離すことのできないものとなりました。こうして築かれた期待は120年にわたり受け継がれ、今日もグッドウッドのホーム・オブ・ロールス・ロイスで生み出されるモーターカーに受け継がれています。
– 以上 –
詳細情報
• シルバー・ゴーストとロールス・ロイスの歴史におけるその位置づけ:40/50 H.P.は1906年に発表され、1925年まで生産が続けられました。この期間に英国で6,173台が製造されたほか、米国マサチューセッツ州スプリングフィールドにあったロールス・ロイスの工場で1,703台が生産されました。また、1927年には装甲車仕様のシャシー10台も納入されています。このモデルは、なめらかな走りを実現する6気筒エンジン、高い信頼性、そして優れた汎用性で知られていました。シャシーには、フォーマルなリムジンからオープンまでツーリングボディー、さまざまなコーチワークを架装することが可能で、それぞれの仕様に合わせてサスペンションも入念に調整されていました。
• シャシー1701とロンドン-エディンバラ・トライアル:シャシー1701は、1911年のロンドン-エディンバラ・トライアルのためにダービーで製造され、ロールス・ロイスの実験試験ドライバーであったアーネスト・ハイブスによって運転されました。ギアボックスを全行程にわたってトップギアに固定した状態で走行し、平均時速19.59マイルでトライアルを完遂するとともに、24mpgを超える燃費性能を達成しました。その後、このモーターカーはハーフマイルの速度試験で78.2mphを記録しました。さらに同年、空力性能を考慮したコーチワークを装着したことで、ブルックランズにおいて101.8mphを達成し、ロールス・ロイスとして初めて時速100マイルを超えたモデルとなりました。
• シルバー・ゴーストが辿った特別な歴史:第一次世界大戦中、シルバー・ゴーストのシャシーは軍用車両にも転用されました。その中には、「アラビアのロレンス」として広く知られるT.E.ロレンスが運用した装甲車も含まれていました。ロレンスはその高い信頼性を称賛し、「ルビーよりも価値がある」と評しています。また、ルーマニアのマリー王妃も、第一次世界大戦中に負傷兵や軍病院を支援する人道的活動のためにロールス・ロイスを使用しました。
• シルバー・ゴーストが放ち続ける魅力:40/50 H.P.の息の長い活躍は、ヘンリー・ロイス卿が確立したエンジニアリング基準を物語っています。多くの車両が1世紀以上を経た現在も現存し、オーナーによって実際に使用されています。また、歴史的車両の修復を専門とする技術者や関連団体のネットワークも、このモデルの遺産の継承を支えています。

